カンボジア通信~夢に向かって泳ぎ続ける選手とニャックルーの話~

元スイマーが青年海外協力隊としてカンボジアで全力疾走!2016年1月~2年間の活動の様子を綴ります

あなたは【運命】って信じますか?

time 2016/05/08

あなたは【運命】って信じますか?

前回の投稿から1週間。
この1週間は自分でも驚くほどロボる(忙しい)でした…。
「やらなければならないこと」が立て続けに重なり、選手指導以外の時間はただひたすらプノンペン内を走り回り、JICA事務所と水泳連盟オフィスを行き来し、午後練習後選手たちが家に帰ってから、オリンピックスタジアムの門が閉まるまでオフィスに残って永遠と終わらぬ事務作業…。
疲れ果てて帰宅し、夕飯を食べる気にもならずバタンキュー…。

”これで自分が倒れたら本末転倒”
って、自分に言い聞かせながらも、
ただただ選手たちの笑顔だけがパワーとなり、なんとか持ちこたえた1週間でした。。

今日は目覚ましかけずに寝よう!と思っていたのですが、
自然と5時半に目が覚めてしまい、結局行きつけのカフェでこうしてブログを書いているところなのです。笑

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”頑張りすぎちゃダメ”
って、協力隊員の人はよく言われる言葉だと思います。

私もよく言われました、というか、今でも言われ続けています。

だけど、必死になっているときって、“頑張ってる” っていう感覚はなくて、
…そもそも、ただこうやって必死にもがいていることが楽しくてやっているだけであって。
それが ”頑張っている” になるのかどうか自分ではわからないけど。
なんだか、カンボジアに来てから、ごちゃごちゃ考える前にとにかく行動するようになった…かな。
いいか悪いかわかんないけど。

大学一年生の頃に戻った気分。
右も左もわからないから、ただただ全力で突っ走ってたあのとき。
怖いもの知らずって、多分めちゃくちゃ強いと思う。
大学4年間を振り返っても、1年生のときが一番キラキラしてたし、自分でもコワイくらい結果もついてきた。

あのときの自分が、一番自分らしかったとも、思う。

だから、あのころのようにがむしゃらに動けていることが今すごく幸せで、
周りの方には迷惑や心配をかけっぱなしだけど、
結局、自分勝手に、自分のために、走り回っているだけなんだけれども、
ゴメンナサイ、楽しいんです

…前置きが長くなりましたが、
生山咲、カンボジアで相変わらず、元気にやっております。笑

こんなに元気いっぱいで毎日全力過ごせるのには、とある理由があって。
このヒストリーがなかったら、私の全力度は3割減だったかも。笑

今日の記事は長くなりそうですが、
感謝の想いと、これからの意気込みを込めて、
天国のヘム・トンさんと中村昌彦さんに送ります。

1966年 青年海外協力隊 カンボジア初期隊員派遣

今から50年前。
1966年1月9日、カンボジアに初めてJICAから青年海外協力隊員が派遣されました。
その一人が”中村昌彦さん”
私と同じく、水泳隊員でした。

そんな彼に指導を受けていたのがヘム・トンさん
当時ナショナルチームの選手でした。

中村さんの指導はとても厳しく、
”試合で負けるくらいなら練習で死ね”
とよく言われ、ヘム・トンさんは練習中、水の中でこっそり涙を流していたとか。

しかし中村さんに指導を受けてから3か月後、多くの選手がカンボジア記録を更新したとのことです。
だから、どんなに厳しい練習にも負けずについていったのだとか。

全てが崩れ… それでも前を向き続ける

しかし、その後すぐに悲しい時代が訪れます。
クメールルージュ、ポルポト政権の時代です。
(詳細は下記記事参照)
悲しい過去 2016年2月1日

スポーツ選手だったヘム・トンさんは、当然のことながら拷問を受けました。
もう二度と泳げないようにと、足を曲げられたそうです。
しかし、彼は生き延びました。

そして、ポルポト政権後の1980年。
ヘム・トンさんはカンボジア水泳の復興に取り掛かりました。
水泳連盟を再興し、選手を一から育てることに力を注ぎました。

しかし、まだ混乱の中にあったカンボジアで、水泳に関心を持つ人は少なく、
彼はまず、自分の子供たちに水泳を教え始めました。
その結果、5人の子供のうち3人、さらにその孫が水泳選手となって活躍。
アトランタ・シドニー・北京・ロンドンでのオリンピックにも出場しました。

受け継がれる想い 繋がるキズナ

ちょうどその頃、1998年には、JICAから青年海外協力隊として水泳隊員が派遣されました。
”柴田学さん”、現在は新潟県内のスイミングスクールでコーチをしています。
彼はヘム・トンさんのカウンターパート(同僚)でした。

…果たして誰がそう仕組んだのか…?
カンボジアに来てからわかったことですが、
実は、柴田さんと私、お会いしたことがあったのです。

そう、青春の地、直江津東中学校のあのプールで…。

大学時代、毎年夏合宿で使わせていただいていたプールで、同じ日、同じ時間に、柴田さんも選手を連れてきていたのです
当時チームのキャプテンだった私は、100%ご挨拶してるはず…。
お互いに記憶はなかったのですが、Facebookの写真がきっかけであとから気が付いたのです。
ただただびっくりしましたが、なんだかとても嬉しかったです。

その柴田さんに指導を受けていたのが、
そうです、ヘム・トンさんの息子であり、私のカウンターパートである、ヘム・キリさんです。
彼は今でもよく、”コーチが、コーチが…”と話をしています。
彼は25歳の時に現役選手を引退し、今は指導者としてナショナルチームの指導を行っています。

自分のために 自分しか、今しかできないことを

それから時は過ぎ、2014年ー

9月7日
私はこの日の日本学生選手権を皮切りに、22年間続けてきた競泳を引退しました。
幸せな競技人生でした。
胸を張ってそう言えます。
”もう水泳に未練はない”  そう思っていました。

そして、漠然とした”国際協力の仕事がしたい”という新たな夢に向かって、歩き出しました。
だけど、私が働きたいと思っていたNGOでの新卒募集枠はほぼ0に等しく、
”とりあえず” 一般企業に勤めてみようかな。
そんな気持ちでした。

いろんな想いがありました。
私には、大切な人がたくさんいました。
決して楽ではなかった22年間の競技人生を、支えてくれた人がたくさんいました。
ずっと、”自分のために”、水泳をやってきたから、これからは、”誰かのために”、一生懸命になってみたい。
長い間ずっと私の競技生活を支えてくれていた家族や彼のそばにいて恩返しをしたい…。

でも、家族のことや彼のこと、ぜーんぶ抜きにして、”自分だけ”のことを考えたとき。
結局、”自分のために”、本当にやりたい事はなんだろうと考えたとき、
私は幾度となく、青年海外協力隊の募集要項を開いていました。

青年海外協力隊を受けようと決意したのは、ゼミの先生に相談したことがきっかけでした。
”今回水泳の要請上がってるよ~。”
って言われたとき、なんだか胸がドキドキしたことを今でもよく覚えています。
水泳の要請は全部で5件。
『エクアドル1件、グアテマラ2件、カンボジア1件、ヨルダン1件(男性のみ)』

要請内容にはっきりと”ナショナルチームの指導”と記載されていたのはカンボジアのみでした。
自分が選手だったからこそ、その要請内容に私はとても惹かれました。

その要請を挙げたのは、他の誰でもなく、ヘム・トンさんだったのです
しかし彼は当時、病に伏されておりました。

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【途上国で水泳を教える】
水泳を仕事として考えたことは一度もなかった。
日本でコーチになりたいと思ったことはなかったのです。

だけど…
“これって、私にしかできないことだ”。

結局”誰かのために”なんてなれやしない。
だけど、自分しかできないことがここにはある。

……自分の気持ちは、ごまかせませんでした。
どうしても、挑戦してみたかった。
今しかできない、って、心のどこかでわかっていた。

大切な人を残していくことに後ろ髪をひかれていたとき、
その大切な人たち…家族と彼に背中を押され、

2015年1月
最終面接へと向かいました。今でもよく覚えています。
面接では約20分間、終始エクアドル派遣についての話をされていたので、すっかりエクアドル派遣になるのかと身構えていました。
2月に合格発表の書類を開き、【カンボジア クメール語】の文字に、ただただ驚くばかりでした。
(第一希望は初めからカンボジアでしたが、エクアドルのナショナルチームの選手指導はどう?と聞かれ、“選手をみれるのであればどこでも大丈夫です!!”と答えていたのです)

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その頃……2015年1月12日
ヘム・トンさんはお亡くなりになりました。
もう少し、もう少しだけでも長ければ…。
一度でいいから、お会いしたかったです。

重なる運命

それからちょうど1年後…
2016年1月12日

私はカンボジアに到着しました。
運命でしょうか。まさに、ヘム・トンさんに導かれて来たかのようです。
それはまた、初代隊員の中村さんがカンボジアに訪れてから50年と3日後でした。

赴任した直後、先輩隊員さんが企画して下さった27年度3次隊の歓迎会をしていただいたとき、
スタッフさんや先輩隊員さんに挨拶するたびに、
”あぁ!水泳隊員の!!”
とか、
“遺言を受け継いだ子だね”
と言われ、最初は何がなんだかわかりませんでした。

でも、現場に入っていろんな話を聞いて、やっと、やっとつながりました。
あぁ、私、すごいところに来たんだなって。
こりゃ、生半可な気持ちじゃいけないし、2年間死に物狂いで頑張らないとなぁ。
天国で見守ってくれているヘム・トンさんに、中村さんに恥じないように、精一杯、一生懸命生きないとなぁ、
そんな気持ちで、今、毎日を過ごしています。

赴任当初からそんなかんじだった為、
とあるスタッフさんに、

”プレッシャーすごくない?大丈夫?”

と心配して声をかけていただきました。
大丈夫です。むしろ、プレッシャーあったほうが頑張れるので…。

光栄すぎる半面、ペーペーの私なんかでいいのかと、不安に思うこともありますが、
私だからできることを一生懸命やって、
できないことは、周りの人に頼って、相談して、考えて、乗り越える!

私ひとりじゃなんもできません。
この国の水泳界を動かすような力なんてこれっぽっちもありません。
だけど、私が2月に水泳連盟に配属されてから立て続けに、
日本各地から”支援させてください!”の声を沢山頂いているのです。

本当に頭が上がらないことばかりです。
最初は信じられませんでした。
協力隊の活動って、こんなにも急スピードで進んでいくものなのかと。

どうやら、お空の上から、誰かが、強く強く、背中を押してくれているようです。

”俺らが見守ってるから、お前はとにかく全力で走れ!!”

と言われているような気がして。

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オフィスのデスク横に飾られた一枚の写真。

ヘム・トンさん、中村さん。
いつも見守っていてくれて有難う御座います。
いつかお会いするその時まで、
私は与えられた使命を、この命を、全うします。

感謝・愛・笑顔を忘れず。
頑張ります!

最後に

滅多にこんな機会ないと思うので、
私をここに導いて下さった全ての方々に、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。

きっかけをくれたチオ
夢を応援してくれた数え切れないほどの友達
TEAM BLUE SHARKS
就活中にお世話になった企業の方々
JSS入間のみなさん
協力隊同期隊員
水泳隊員新規派遣のために動いてくださった多くのJICAスタッフさん
山口先生、柴田さん、中村さん、ヘム・トンさん、相方キリー
ついてきてくれるカンボジアの選手のみんな
強く背中を押してくれた最愛の家族
そしていつも心の一番近くで支えてくれている彼へ。

私は本当に果報者です。
こうして最高の人生を送らせて頂いて有難う御座います。
これからも精いっぱい、笑顔を咲かせ続けます!

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自己紹介

生山咲

生山咲

1992年7月7日生まれ 母の影響でベビースイミングから水泳を始め、大学卒業まで22年間競技生活を続ける。 大学水泳部では女子主将を務め、2014年9月の日本学生選手権を持って現役引退。 2015年3月に東海大学教養学部国際学科を卒業し、平成27年度3次隊でJICA青年海外協力隊としてカンボジアに水泳隊員として派遣される。KHMER Swimming Federation(カンボジア水泳連盟)に配属され、ナショナルチーム及びユースチームの選手を指導中。