泳げ!カンボジアの負け犬たち!

夢・希望・可能性… 譲りたくないものが、ココにある。

time 2017/04/02

夢・希望・可能性… 譲りたくないものが、ココにある。

ご無沙汰しております!約3か月ぶりの更新です。
カンボジア青年海外協力隊員のサキです!
なかなか更新できずゴメンナサイ。

今日はこの3か月で感じたことや考えていたこと、
自分自身の変化や思いについて、徒然なるままに書いていきたいと思います!

何も考えず、あるがままに想ったことを書いていきますので、
読みづらいしまとまりないかも。許してねっ

 

 

 

6人の選手たちを連れて行った12月のタイ遠征のときのことです。
大会初日、赴任当初からずっと教えてきたSeyくんが50m平泳ぎで33秒代を出して6位を獲得しました。

一年前の2月、彼の自己ベストは37秒。一年間で約4秒も速くなりました。
水泳をやっている方ならわかるかと思いますが、これは本当に素晴らしい成長。
誰よりも真面目に練習を頑張って、練習でもレースでも果敢に攻め続けた結果。
そして、なんと3位のタイムまであと1秒弱。確かに可能性が垣間見えた瞬間でした。
レースを終えて満面の笑みで帰ってきた彼のことをおもいっきり褒めました。

それを横目に、面白くなさそうに眺めている人がいました。

チームマネージャーとして引率に来ていた連盟のお偉いさん。
金銭的サポートをしてくれていた方でした。
彼はソフトテニス連盟の会長も兼任しており、水泳の現場にくることは私が赴任してから一度もありませんでした。

 

 

レース後、ホテルに戻って昼食の時間。
そのお偉いさんの様子が明らかにおかしい。
私のことを横目でみて、コソコソ何か話して、私が話しかけると無視。
耐え切れず、選手たちが部屋に戻ってから、面と向かって話しかけてみました。
”私、何かしましたか?もし気に障るようなことをしていたら謝ります。”と。
すると何か彼のスイッチが入ったかのように、話し始めました。

 

”水泳は私がどんなにお金をかけてもメダルが取れないな”
”今まで何度も金銭的サポートをしているが、メダルが取れないから意味ないね”
”ソフトテニスはまだ新しい連盟なのに、遠征に行くたびにメダルを取るのに、水泳はこれだから…”

 

落ち着け…落ち着け自分…。。。と言い聞かせながら、こう返す。

 

”そうですね、水泳はまだメダルには手が届かないのが現状です。”
”だけど、今日のレースではみんなとってもいい記録を出したんですよ。前に比べて何秒も速くなったんです”

 

私の反論にイラっとしたのか、お偉いさんはこう続けました。

 

”速くなったって言ったって、ほんのちょっと。どうせ他の国の選手との差は埋まらないだろ”
”あんなレースでよく先生は選手のことを褒めるよね”
”ソフトテニスは日本人のコーチが来てからすごく強くなったよ。なのに水泳はあなたが来たのに…ねぇ。”

 

ソフトテニスのコーチをしている日本人の方は私も知っていて、とてもよくしてもらっています。
本当にすごい方で尊敬できる方です。だから彼をこのお偉いさんが認めるのもわかります。

 

”そうですね、彼は本当にすごい人です。私には彼のような力はありません。”
”だけど選手は、こんな私についてきてくれるんです。”
”選手たちがメダルを取れないのは指導している私のせいです。私に力がないからです。”

 

するととんでもないことを言い出します。

 

”いやいや。選手たちもなまけものじゃん。”
”練習に遅刻してばっかりで、全然頑張らない。それに比べてソフトテニスはさぁ・・・”

 

ソフトテニスの子たちが頑張ってるのは私もよく知っています。
だけど。だけど!!
…あんた水泳の練習見に来たこと一度もないだろ…!!!
もうこのへんから私は何も言えなくなっていました。
言い返したら歯止めが利かなくなりそうで…。

 

しかし、その時はきてしまいました。
彼は、鼻で笑いながら、こう言いました。

 

 

”お前の選手はカメみたいだなっ!”

 

 

その瞬間、耐えきれなくなって、無言でその場を立ち去りました。
しかし、向かった先の出口のドアが鍵かかってて出られない。笑
もうそこで私、大号泣

 

お偉いさんも、その付き人も、選手の保護者も、レストランのスタッフも、
きょとーーーん。しーーーーん。

お偉いさんが慌てて私のもとに来てこう言いました。

 

”違うんだ、あなたが悪い先生だとは言ってない。あなたの選手が悪いんだ…”

 

…なんもわかってねぇコイツ…!!!!!

 

自分のことをバカにされただけだったら、絶対泣かなかった。
自分が力不足なのはわかっているから。

 

 

だけど、
号泣しながら、選手たちの笑顔が思い浮かんで、
1年間やってきたことが走馬灯のようによみがえった。

 

2000mくらいしか泳げなかった選手たちに、初めて4000m越えのメニューを渡したときのみんなの顔。
でもその不安も裏腹に、泳ぎおわってから、
”ニャックルー!きつかったよー!!”って、全然きつくなさそうに笑顔で駆け寄ってきたあの子たち。

時には死んだ魚のようにヘロヘロになって、プールサイドであおむけになっていた姿。

“全員家帰れ!”と私に怒鳴られて、泣きそうになっていた顔。

ライバルに負けて悔しくて、水面を殴りつけていた姿。

 

 

ぜんぶ、いとおしい って思った。

 

 

彼らの努力をこの人は知らない。
その人に、”カメみたい”って、なんでバカにされなきゃいけんのだ?

水泳はメダルが取れないって なんで決めつける?
どうして 戦う前から 勝てないと決めつける?
どうして 信じる ということができない?!
大人が 指導者が 可能性を信じてあげなくて
子供たちは どうやって 未来を見るんだ?!

 

”どうして、何も知らないくせに、そんなこと言えるんですか”
”私のことをバカにしたければいくらでもしてください。でも、彼らのことを侮辱することだけは許せません”
”たとえあなたがどんなに彼らのことをバカにしたとしても、私は、彼らを信じます”

”お願いだから、彼らのこと、信じてあげて”

 

たぶん、彼は私が何を思ってるかわかってなかったと思う。
そのあともずっと、私のことを変に褒めていたから。あんま覚えてないけど。

 

私はただの外国人。
たった2年しかいれない、期限付きのボランティア。

私が帰ったら、きっと、
出欠確認も、あんなに考えた物品管理も、練習前後の整列も、きっとなくなっちゃう。

こんなきつい練習、やるわけない。

 

【ここにいた証】
なんて残るかわからないのに。

 

なのに、なんで

この子達に、すべてを懸けたいと、思ってしまうんだろう

なんで、こんなに、好きになっちゃったんだろう

どうして、あんなに悔しかったんだろう。

 

わかんない、でも、ただただ涙があふれてきて、
悔しくて 悔しくて 仕方なくて、
だけど、その悔しさと同じくらい、”絶対メダル取ってやる”って思った。

 

そして、思ったことがそのまま口に出た。

 

 

”私が帰るまでに絶対メダル取りますから”

 

 

それからのことはほとんど記憶がないけど(マジで覚えてない)
なんとかして泣き止んで、仲直りしたかな?

選手と同室だったから、真っ赤に腫らした目を見られたくなくて、
非常階段のとこでカナダの大会の引率に行ってるカウンターパートにメッセージを送った。

”キリーごめん、お偉いさんと喧嘩しちゃった。
だって私たちの選手のことバカにしたんだもん!
悔しくてめっちゃ泣いちゃった笑”

ってね。笑

 

その日の夜、カナダから電話かけてきてくれて、
”あいつのいうことは気にするな!サキには俺らがついてるから!俺らは家族だろ!!”
っていわれて、また泣いた。でも今度はうれし泣き。幸せだなぁ~~~っておもった。

 

 

なんとか残りのレース期間もお偉いさんとうまくやりながら、無事カンボジアへ帰国。
カンボジアで待ってたみんなの顔をみたら、また泣きそうになった。

 

私の居場所はここ。ってはっきり感じた瞬間。

 

カウンターパートがカナダから戻ってきたとき、私は開口一番にこう言った。

 

”私がいる間にメダルを取るから”

 

 

 

2年目に入って、もう一段階ギアを入れて活動に向かった。
だけど、寒いのもあって選手たちが少しなまけ気味。

いや、もしかしたら今までと変わらなかったのかもしれない。
でも、私が1つステップアップしたから、今まで気にならなかった部分も気になってしまうようになったのかも。
ちょっとずつ、そうやって温度差を感じるように。

考えすぎて、眠れない日が出てきて、
寝れても夢の中で問題児の選手のこと考えてたり、
そのうち偏頭痛まで起きだして。笑

あまりにも長く続くから薬もらおうと思ったら、
健康管理員さんからストップがかかって、1週間プールいけなくなって。

”大丈夫?早く元気になってね、ニャックルー!”
って毎日のように選手からメッセージ届いて、
とにかくはやくみんなに会いたくて仕方なかった。

 

復帰してからもやっぱり、オッジョル(意味わかんねぇ)なことがたくさんあるけど、

離れてた一週間で少し落ち着つくことができたからか、
客観的に自分を見れるようになった…気がする。笑

 

 

おかげ様で今はすっかり元気です。

 

プールサイドを走り回って、”だから遅いっつってんだろ?!” と日本語で一人ぶち切れ、
満面の笑みで鍛錬期のえげつないメニューを手渡し、選手から”…ふざけんなニャックルー…”と思われていることでしょう。笑

 

だいぶクメール語にも慣れてきたから、一対一でミーティングをしてみたりしました。
これがすごいよくて、二人になると今まで見えてなかった部分が見えたり、
”今まで誰にも言えなかったんだ…”って、胸の内を話してくれたり、
”ニャックルーが日本帰っちゃったら俺水泳辞める…” って言われたり…

 

ボランティアとしてはよくない形だと思うけど、
実は、連盟の人手不足で、今年からは私がトップクラスのヘッドコーチになってるんです。
今までユースチームだけだったんだけど、トップアップを目的として、ナショナルチームをもっと強化しようっていうカウンターパートからの提案で、ナショナルチームとユーストップクラスを合同にしてチーム編成を行ったんです。

 

この話を持ち掛けられた時、正直、すごくうれしかった。
ボランティアとしてよくないのはわかっていたけど、
私が帰ったらどうするの…とかよぎったけど、
それでも、誇りに思えた。

 

なんだろう、
今までたぶん、こんなにも必要とされてると思ってなかったんだよね…

 

だから、じつは、いま、ぶっちゃけると、

 

 

10ヶ月後、本気で 日本に帰りたくないんです。

 

 

(あー言っちゃったー)

 

家族も、彼も、友達も、みんな日本だけど、
だけど、2023年まで、この地で行われる最終決戦まで、見届けたい。

 

日に日に増す 『メダルが欲しい』欲

日に日に増す 『彼らへの愛』

 

そして、

日に日に増す 『カンボジアに残りたい』欲

 

 

きっと、家族も、彼も、このブログ読んでると思うけど、
なんとなく、気が付いていると思うけど、

 

私、本気です。

 

(また言っちゃった…)

 

 

私にとって、ここは、カンボジア水泳連盟は、こんなにも本気になれる場所なんだ。

 

 

同期が社会人3年目となって活躍している真っ只中で、

生山咲 24歳 新卒 社会人経験ゼロ
カンボジアで、人生、迷走中です!!!!!!笑

 

 

さぁ、どうする、自分?!

sponsored link

コメント

down

コメントする




ひとりごと

カンボジア

ブログ

未分類

訓練

プロフィール

生山咲

生山咲

1992年7月7日生まれ 母の影響でベビースイミングから水泳を始め、大学卒業まで22年間競技生活を続ける。 大学水泳部では女子主将を務め、2014年9月の日本学生選手権を持って現役引退。 2015年3月に東海大学教養学部国際学科を卒業し、平成27年度3次隊でJICA青年海外協力隊としてカンボジアに水泳隊員として派遣される。KHMER Swimming Federation(カンボジア水泳連盟)に配属され、ナショナルチーム及びユースチームの選手を指導中。



sponsored link