カンボジア通信~夢に向かって泳ぎ続ける選手とニャックルーの話~

元スイマーが青年海外協力隊としてカンボジアで全力疾走!2016年1月~2年間の活動の様子を綴ります

悲しい過去

time 2016/02/01

今日は、カンボジアに来たら必ず行かなければ…と思っていたキリングフィールドとトゥールスレン博物館に行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、今私が住んでいるカンボジアには、悲しい過去がありました。
少し長くなりますが、今日はその[ポル・ポト政権の時代]について書いてみようと思います。

1975年、カンボジア内戦の結果、ロン・ノル政権を破ったポル・ポト政権は実権を握りました。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュという政党は、「原始共産主義」を掲げました。これは簡単に言うと、階級や格差が全くない原始時代の状態に戻そうとする考えです。
この考えに基づき、すべての知識人をかき集めるために、「国の再興のために、医者や教師、学生だった人は名乗り出してほしい」と布告を出しました。
該当する人は名乗り出て、トラックで処刑場に運ばれ、殺されました。この知識人狩りは次第にエスカレートしていき、本を読んでいる人、有名人、さらには眼鏡をかけている人、といったように、めちゃくちゃな理由で大量に殺されていきました。
後に、カンボジアから亡命した人々で結成された軍隊とベトナム軍の軍隊でポルポト政権を攻め、1979年に首都プノンペンを陥落させ、約4年間のカンボジアの悪夢に終止符を打ちました。
この約4年間の間に、上記のような虐殺の他に、干ばつ、飢餓、疫病などで、200万人〜300万人(正確な数字は不明)のカンボジア国民が亡くなったとされています。この数字は、当時のカンボジア国民の4分の1に値します。
恐ろしいことは、この考えられないような大虐殺が起きたのが、そう昔ではないことです。
今後私が教えるであろう子供たちの、少なくとも祖父母の時代に起きた出来事です。
今、カンボジアで生きている40歳以上の人は皆、この悪夢を乗り越え生き延びてきた人であると言えます。

今日訪れたキリングフィールドとトゥールスレン博物館は、この時代の歴史を物語っている場所です。
今やアンコールワットやワットプノンに続く、カンボジアの観光名所となっています。
キリングフィールドは、実際に処刑が行われていた土地、
トゥールスレン博物館は、知識人たちが収容されていた収容所です。

…言葉になりませんでした。
心構えして訪れたものの、実際にその場を訪れてみると、残酷な現場が生々しく目に浮かび、立ちすくんでしまう程でした。
キリングフィールドにある無数の人骨、着用していたであろう衣服、赤子を打ち付けて殺していたキリングツリー…
トゥールスレン収容所には、今もまだ残る数多くの血痕、拷問に使われていた機材、何人もの人を殺した斧や棍棒、処刑台として使われていたベッド、番号を付けられ悲しげにこちらを見つめる顔写真の数々、更には処刑された直後の写真…
トゥールスレンでは、締め切った部屋の匂いと血の匂いが混ざったような独特の匂いで吐き気に襲われ、暑いはずなのに鳥肌と冷や汗が止まらず、正直、早くここから出たいとまで思ってしまったほどです。

出発直前に買ったカメラで写真を撮りましたが、クマエの友人がいるので公開はできません。
やはり多くのクマエにとって、この過去はまだ触れたくないもののようです。
今日連れてってくれたトゥクトゥクのおじちゃんも、帰り際にぼそっと言っていました。
「僕はやっぱり見れない」って。

二度とこのような悲劇が繰り返されませんように…。
ただただ、そう願うのです。

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生山咲

生山咲

1992年7月7日生まれ 母の影響でベビースイミングから水泳を始め、大学卒業まで22年間競技生活を続ける。 大学水泳部では女子主将を務め、2014年9月の日本学生選手権を持って現役引退。 2015年3月に東海大学教養学部国際学科を卒業し、平成27年度3次隊でJICA青年海外協力隊としてカンボジアに水泳隊員として派遣される。KHMER Swimming Federation(カンボジア水泳連盟)に配属され、ナショナルチーム及びユースチームの選手を指導中。